<6日目、2000年6月6日> 音威子府・音威子府そば→稚内・稚内モシリパユースホステル

音威子府そば 常盤軒 北海道の旅 2000年
音威子府そば 常盤軒
音威子府から稚内へ

 7時起床。昨晩は同級生と遅くまで飲んだあと、彼のアパートに泊めてもらった。昨晩は遅くに天気が崩れ、雨が降っていたのでアパートへの宿泊は非常に助かった。8時半彼の出勤時間と合わせてアパートを出発。お礼を言い別れた後、知り合いの家を2、3件まわってみる。皆、昔のことをよく覚えている。自分がすっかり忘れていたことも会話によってどんどん記憶がよみがえる。横浜の家族は皆元気であることと実家の連絡先を伝え、次々に知り合いを回っていった。雨はかなり降っていたが、懐かしさで足どりは軽い。

 昨晩行った旧家にも再び訪れた。現在住んでいる家の人に事情を説明し、家の周りの写真を撮らせてもらう。家自体はほとんど変わっていなかったが、裏庭にあった母が家庭菜園をしていたビニールハウス等はすっかり無くなっていた。自宅のすぐ近くにあるスキー場も行ってみる。オフシーズンなので人影はない。ここは昔とほとんど変わっていなかった。小学生の時に授業でスキー場に来たことや、上級者コースで降りれなくなったことを思い出す。

旧家を見つける
旧家正面
旧家裏
父が昔つとめていた石油輸送所(シェル石油)の事務所跡
「音威富士スキー場」は昔と変わっていなかった

 2時間程度で一周できる小さな村のため、時期はずれのバックパッカーはかなり目立った様だ。知り合いに聞いてみると昨日村を一周した時にいろいろな場所で姿を見られ、村中の話題になっていたそうだ。昼食は昔父と同じ職場だった人の家で、ごちそうになることができた。ここでも懐かしい話をし、列車の発車時刻まで時間をすごした。また偶然に、おもしろい情報を入手する事ができた。旭川では「神楽岡公園キャンプ場」に野宿したが、おじさんの息子が神楽岡でアパート暮らしをしているという。再度旭川を訪れる予定だが、そのときは是非寄っていくようにと勧めてくれた。

 駅では音威子府名物の一つである「駅そば」を食べておいた。昔はそれほど有名ではなかったが、今ではガイドブックに載るほどの定番となっている。独特の黒い麺はここ以外で食べることはできない。

駅舎内にある「駅そば」(常盤軒)
名物「音威子府そば」

 13時52分音威子府発。次の目的地「JR稚内(わっかない)」に向かう。稚内はJR最北端の駅だ。鈍行で約2時間半の移動、16時半到着の予定である。このあたりからは本格的に列車も寂しくなる。ワンマン列車で一両編成、乗客は自分を含めて2、3人しかいない。

 定刻通りに稚内到着。観光案内所で今日宿泊する「稚内モシリパ ユースホステル(YH)」の場所を確認し移動した。すぐにYHは見つかり所定の手続きをし、無事チェックイン完了。すぐに洗濯と風呂を済ませWebページの更新準備をする。ここ稚内ではPHSのアンテナも3本立っている。久しぶりに電子メールで兄弟と連絡をとることが出来た。

JR最北端の駅「稚内(わっかない)」
駅舎全景

 館内は非常に清潔で案内も工夫を凝らしている。独自の散歩コース等も設けており、YHガイドでも非常に施設レベルが高く評価されている。今後、稚内に寄る機会があれば再度利用してみたい。

稚内モシリパ ユースホステル。男女別相部屋

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