<8日目、2000年5月6日> 三浦海岸、観音崎

観音崎灯台 江ノ島・三浦半島の旅 2000年
観音崎灯台

 8日目。7時起床。曇りのち晴れ。

 チェックアウトの時間まで、昨日ダウンロードした電子メールを読む。

 昨日のWebページ更新で、PHSによるデータ転送に限界を感じた。PHS経由では、普段利用しているNTT ISDNの半分のスピードしか出ず、さらに23時のテレホーダイタイムに近づくと非常にレスポンスに悪い。たかが1Mbyteの転送に1時間も要する。このままではPHS DDIポケットの請求書が恐ろしい。北海道の旅では、残念ながら、文章のみの更新になりそうだ。

 素泊まり料金\4,000円を払い、「きしろ荘」をあとにし、バス停へ向かう。昨夜の隣客のいびきには参ったが、疲れもあり、十分に睡眠時間は確保できた。バスの到着時間はあらかじめ昨日中に確認してある。その時間に合わせ、宿を出たつもりだが、朝一で十分体力、気力があるせいか、15分ほど早く到着する。ポケットには昨日のビールの残り1本があるので、それを飲みながら、気長にバスを待った。さいわい(?)バス停の近くに酒屋があり、本日分の2本のビールを補充することができた。1本はいつも通り、ポケットに、 もう1本は次の「三浦海岸」の昼食で飲むことにする。

ビールを飲み、バスを待つ

 海岸線づたいにバスは進み、「三浦海岸」にたどり着く。マクドナルドでハンバーガーを買い、浜辺でアルコール付きの食事をする。ここには、カラスはいないようだ(笑)

三浦海岸でカラスがいないのを確認し、昼食を取る

 しばらく浜辺を眺め、次の移動先「観音崎」を目指す。京浜急行「三浦海岸駅」から電車に乗車し、一気に海岸を飛び越え、「YRP野比」で下車する。駅で浦賀経由、観音崎行きのバスを探すが、それに相当する路線が見あたらない。「YRP野比」で下車したのは、地図上で、一番、バスのつながりが良さそうに見えたからである。休憩をしていたバスの運転手に声を掛け、とりあえず浦賀までの路線があるか聞いてみる。話では次の駅、京浜急行「京急久里浜」まで移動した方が、良いとのこと。アドバイス通り、1つ駅を進み下車する。確かに,こちらの駅の方が大きく、バスの路線も多い。そこからは浦賀で乗り換え、観音崎まで、スムーズに進むことができた。

京浜急行で、三浦海岸沿いを一気に移動する
「観音崎」に到着する

 13時半。観音崎到着。早速、観音崎灯台を見つけ、階段を上る。灯台内の見学は有料のため、外観を写真に収め、先へ進む。「海辺の道」、「戦没船員の碑」、「観音崎公園」を見て回る。

「観音崎灯台」を間近で見る
「戦没船員の碑」

 今日の宿泊は、「青少年の村」にテントを設営するつもりだ。管理人がいたので、テント張りは良いか、話を聞いてみた。残念ながらここは、野宿をするような場所ではなく、予約制、それも団体客のみ対象としているロッジだそうだ。名前から勝手に、キャンプ施設と思いこんでいた。情報収集不足だったようだ。まあ、野宿旅はいつも予定通りに行くとは限らない。野宿地探しと見学を兼ねて岬を練り歩く。

ロッジが並ぶ「青少年の村」

 やはり、はじめに見た、バーベキュー客の芝生が良さそうだ。城ケ島の経験で、客は駐車場の関係のため、17時頃には帰り出すのを知っているので、向かいの海岸で時間をつぶす。「コンビニまで歩いて5分」の看板を見つけ、夕食を買いに行ってみることにする。だが、意外と遠く、往復30分もかかってしまった。看板を見間違えたのだろうか。途中、民家の外に付いていた蛇口から、悪いなぁと思いつつ、手持ちのペットボトルに、明日の朝食に用いる水を確保する。

今日の野宿地の候補。
 まだ野宿には、早そうだ

 予定通り,19時頃には,ほとんどの客は撤収し、テントを設営できるスペースができた。手際よくテントを設営し、寝場所を確保できた。

 今夜は、今回の旅の、最後の野宿となる。さいわい風もなく、天気の心配もなさそうだ。芝生は浜辺から一段上がったところに位置するため、波の影響もない。最後の夜をじっくりと楽しむことにする。

 次の野宿は本番の北海道だ。

海辺へテントを設営する。(翌朝撮影)

コメント

タイトルとURLをコピーしました