<12日目、2000年6月12日> 美幌2日目・シェル石油輸送所跡・美幌藤幼稚園

美幌 藤幼稚園 マリア様 北海道の旅 2000年
美幌を散策

 昨晩はミーティングの時間にユースホステル(YH)のオーナから美幌市街についての情報を仕入れた。市街地図も手に入れることもでき思い出の場所に訪れる準備はできた。

 朝食をとった後、貸し自転車を借りてさっそく市街に向かう。まずは父が昔勤めていたシェル石油輸送所跡方向に自転車を進めた。輸送所の道に入る目印の商店の名前は記憶に残っていたので、付近で犬の散歩をしている人に聞いてみる。比較的簡単に商店は見つかり輸送所も見つけることができた。昨日の観光案内所の話の通り輸送所は取り壊され資材置き場として使われていた。入り口の門だけは残り、かろうじて輸送所跡だということがわかる。昔済んでいた家も付近にあるはずだが、すでに記憶には残っていない。周りにあるそれらしき家をデジタルカメラに収め、横浜帰宅後に父と母に確認してもらうことにする。商店にも寄り買い物がてらに事情を説明してみる。店員の話ではここのおじさんは既に亡くなられたそうだが、おばさんは元気でやっているとのことだ。

ガスコンロでインスタントラーメンを作りベランダで朝食をとる
記憶に残っていた商店(くにおく)は現在も営業していた
商店の向かいに石油輸送所は存在した
石油輸送所(シェル石油)の門だけが今も残っていた
シェルのマークは取り外されていた

 次は卒園した「美幌藤幼稚園」に向かう。ここも地図を頼りにし、すぐに見つけることが出来た。中に入れてもらい保母さんに当時の卒園生の名簿を見つけていただいた。名簿には確かに自分の名前があり当時の記録が残っていた。ニ年保育、ゆり組、昭和53年度の第20回の卒園生となっている。

 他にもいろいろと話を聞く。キリスト教カトリックの幼稚園で北見を中心に8カ所の施設があること。幼稚園の建物は15年程前に改築されたこと。当時の幼稚園の面影は覚えていないが所々に置いて有る「マリア像」に見覚えがある。卒園した際に記念品としてもらったものと同じものだ。当時の担当の保母の名前も記憶に残っていた。話では今でも北見の幼稚園で現役で保母をしているという。連絡が取れるように幼稚園を去る際に自分のPHSの電話番号を伝えておいた。

懐かしい「美幌藤幼稚園」
卒園の際に同じ形のマリア像をもらった。今でも大事にとってある
「ゆり組」は今も同じ名前で残っている
名簿には確かに自分の名前があった

 幼稚園の隣にある「東陽小学校」にも寄ってみる。ここは小学1年生の1年間だけ通った学校だ。あいにく休校ののようで(多分前日に運動会があったのだろう)中に入ることはできなかった。外観は今風の明るい感じになっていたので、たぶんここも立て替えをしたのだろう。

1年間だけ通った「美幌東陽小学校」
「美幌町役場」にも行ったことがあるはずだ
町は自衛隊の駐屯で成り立っている

 今日は夕方まで自転車で市街地をまわり、懐かしの風景、建物を見ることができた。

 ユースホステルに戻ってWebページの編集をしているとPHSが鳴った。電話の主は昔自分を担当していた保母さんからであった。自分の事を今でもよく覚えているという。懐かしい話をし、今度上京した際に再会する事を約束した。

午前中は雨が降っていたが、午後には青空が戻った

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